生誕100年岸澤武雄鋳金造形展 -碧空へのいざない-
ご挨拶
父岸澤武雄は工芸の鋳金作家でした。1912年2月生まれなので、生誕後100年の年月は優に過ぎ去ろうとしています。80歳で亡くなってからは早や 20年が経ってしまいました。この度生誕100年を記念し父の作品を皆様に観ていただきたく、展覧会を開催することにいたしました。
一般的には鋳金というより、「いもの」のほうが通じやすいかと思いますが、父は鋳金による作品制作の中で、デザインの斬新性・造形においての革新性を追 及し、青銅への「青」の着色技術を自分が納得できるまで頑なに追い求めていました。父がそんな制作姿勢の中から生み出し、形にし、作品として結実させた鋳 金の世界を本展覧会で味わっていただければ幸いでございます。
2013年2月
飯田眞理子(長女)
岸澤 眞一(長男)
岸澤武雄 略年譜
1912年
2月2日埼玉県川口町本町に生まれる
1938年
東京美術学校(現東京芸術大学)工芸科鋳金部を首席卒業
1939年
陸軍騎兵学校へ入校
1942年
スマトラ島(現インドネシア)へ渡る
1945年
シンガポールにて終戦を迎える(陸軍大尉)
1947年
5月復員 川口市寿町に居住
日展工芸「瑞鳥香炉」初入選(以後毎年入選)
川口市立南中学校に勤務
1952年
埼玉県立川口高等学校に勤務
1953年
日展出品作「汀花器」が特選、朝倉賞を受賞
1954年
高村豊周主宰の鋳金工芸同人「対象」が創立され、参加
1962年
第一回現代工芸美術展に出品(以後毎年出品)
1963年
日展審査員となる
埼玉の若手工芸作家による「工芸研究会」を主宰
(後に「現代工芸埼玉会」となる)
1964年
日展会員となる
1970年
埼玉県立川口高等学校を退職する
戸田市役所の依頼で「平和像」(高さ2m)を制作する
1977年
日展審査員をつとめる
1978年
現代工芸美術家協会顧問となる(1982年まで)
1982年
日展審査員をつとめる
1983年
日展評議員、現代工芸美術家協会参与となる
1992年
2月6日 肺炎のため永眠(享年80歳)
1994年
遺作展開催(埼玉県立近代美術館にて)
2010年
回顧展開催(川口市立アートギャラリー・アトリア)