憂鬱なINDIGO 足立龍男 個展
ご挨拶
自由美術との関わりから30年を過ぎた。多作では無い自分でもいつの間にか作品は部屋を埋めている。以前の作品も今の作品も、変わらずある色に拘り続け個展のテーマにも掲げ描いている。
変わらないと言うことは何の進歩も無いということか?と考える自分と反面ぶれない自分がいることも確かである。題材は作家の哲学であり、ぶれずに描き続けているのは描きたい事や物があるからであり、これからも変わらないだろう。
それはさておき、少しまとまった量の作品を並べて観たくなった近年、「アートホール」の気持ちの良い会場空間に惹かれ個展を開催することにした。作品は初期のものから新作まで25点程度であるが、変わらない部分が何なのか自分自身再確認しようと思っている。
2014年7月
足立龍男
画家 足立龍男氏
足立さんと出会って、既に四半世紀が過ぎた。正しくは「アッサイ会」というグループを、仲間4人と結成してからが始まりだ。当時4人は「画を想う思い」が共通していただけで、お互いの画をあまり知らずに集まったような気がするが、それは単に気が合ったとかいうものではなく、それぞれが何か「質」のようなものを見いだしていたのだと思う。
集まればいつも画の話になり、「画は観念の図式」ではなく、「日々の中で自分に深み込んだものが滲みだされるものが表現だ」とか。「現代の作家より明治の画家達のほうが深いものがある」とか。
特に自由美術の創立時の画家達の中では、足立さんは「鶴岡政男」に傾倒していたようだ。その社会批判や風刺精神ばかりでなく、造形性や色感の良さ等、メチエの上のことにも深く理解していた。
足立さんの画はその頃から、自身の内部から、除々に発酵させた特異なフォルムや、筆による緻密とも言える小刻みなリズム、それに生息感、暗いが透明感のある色彩など変わっていない。勿論、様々なメチエなどは、幅を広げ進展しているが。そういうことが、何よりも教職を熟しながらであり、そういう場において人間の裡に潜む、善悪では計りきれないもの、不条理なことを正面から受け止め、自分の中で咀嚼し、飲み込んでいること、実にタフな男だと思う。
人間性や世界感の基礎なくして芸術などありえないが、足立さんの画の深さはそういう日々の生き方から繋がってくるのだと思う。暗いが、温もりがくぐもり、風刺的だがユーモラスで安堵させるものがある。強い人間でないとできない仕事だ。
これからも造形上の課題はいくつか残しているとは思われるが、その強靭なものを如何様に燃やし続けるのか見届けたいと思っている。
画家 赤塚 一三
足立龍男画歴
1952年 東京生まれ
1975年 名古屋芸術大学卒
1983年・1985年 個展<ギャラリーはくぜん>
1987年~1990年 アッサイ展企画・開催<愛知県美術館>
1987年~1999年 東京展(’97優秀賞)
1983年~2013年 自由美術展(’08平和賞)
2000年 風景の見え方展招待出品<長久手文化の家>
2005年~2009年 VORANT展<銀座セイコードウギャラリー>
<自由美術協会会員>
<名古屋芸術大学非常勤講師>